【特別講義4】 フローサイトメーター との出会い

細胞培養特別講義 第4回は、以前にもご講義いただきました 順天堂大学 奥村康先生です。先生の師の御一人である Herzenberg 先生の開発されたフローサイトメーター(セルソーター)との出会いなどのエピソードをご紹介いただいております。

■講師紹介ページ:順天堂大学 奥村 康先生

フローサイトメーター(セルソーター)との出会い

奥村 康 先生
順天堂大学医学部 特任教授

私は大学院の頃の指導者 多田先生の下で、当時の細胞免疫学の一大トピックス、ヘルパー T 細胞のテーマをいただき、 IgE の抗体産生にヘルパー T 細胞が必要かどうかという実験系を作り T 細胞を少なくすると IgE 抗体産生が低下するという想定の基に動物実験をしていました。偶然でしたが T 細胞には抗体産生を増やすヘルパーに対して、その反対のサプレッサーの働きもあるということを見つけました。

その後、 T 細胞の中にヘルパーとサプレッサーと二種類あるかどうかといったことが議論になっていました。その頃 Stanford 大学の Herzenberg 教授 ( Len ) の研究室では生きたままリンパ球を分離する装置が開発されているという噂は知っていました。前にも述べましたが大学院を修了し、留学先として Len の教室を志望したのは、その装置(フローサイトメーター)を使って T 細胞を分けることが出来たらという目的があったからです。

当時の 1 号機の大きさはコンピュータ等が大きく畳八畳はある位の大きさです。今は御存知のように冷蔵庫より小さいのも生産されており、現代の研究者にとっては聴診器のようなものです。1970 年頃より Len を支援していた米国のある医療機器系企業から商業化ベースでフローサイトメーターが生産されるようになり、世界の大きな研究室に購入されるようになりました。当然、日本の商社などが その米国企業にフローサイトメーターを日本で販売したくて沢山集まってきました。その米国企業の社長に可愛がってもらっていた私は、どの会社がよいか相談を受けました。当然彼らの側の立場からアドバイスをした次第です。例として私がとりあえず挙げましたのは昔トヨタの米国へ輸出された 1 号車がサンフランシスコの坂を上れず、米国の自動車業界の人は日本を馬鹿にしていたのですが、すぐに日本の技術革新で追い越され、その頃すでに米国の自動車業界は日本に押されっぱなしの事実です。もし日本の技術力を持った会社と関連している商社等に任したら必ず君らがやられるから全く関係ない会社を選ぼうということで私が親しくしていた国内の製薬企業に決めました。その効あってフローサイトメーターに関しては日本製の出現は 20 年近く遅れ、その米国企業の一人天下になった次第です。

留学の後、私は千葉大学に帰り高価でしたが日本の第 1 号機を使うことになり、多くの方が利用しに来室されました。私が帰国する頃に英国でモノクローナル抗体が出現しました。 Len はその有用性、特にフローサイトメーターとの組合せがいかに大切かを熟知しており、米国に初めてモノクローナル抗体作製の技術を持ち帰りました。当初のヒト、マウスのリンパ球表面分子に対するモノクローナル抗体のほとんどは Len の研究室で作製されたものです。加えて私達が日本で作製したマウスに対する抗体の多くが現在でも世界中で多く販売されているクローンの主流になっています。

Len は自分の研究成果を世界中に均等に給与するため企業を巻き込んで色々な商業システムも作りました。おかげで我々は、世界中の研究者が作製した抗体等をどこでも手に入れることが出来ます。生物学の神秘は無限です。Len はその神秘のベールを剥ぎたい無限の欲望を常に工科系と企業の方に理解してもらい、生物学研究にとって多大な貢献をしました。

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